遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
2010年8月26日木曜日
2010年8月25日水曜日
中国人の母2
・続き・
もしかして、父の手紙に反応してる!?
ウチは悔しかった。
家族で一番ママを好きな自信があった。
父よりママを大切にしてる自信があった。
でも、これを読み続けたらもしかしたら…
ママが目を覚ましてくれるんじゃないかな?
そんな淡い期待を抱いて、何回も父の手紙を声に出し読み返した。
でも、ママの心電図は元に戻っちゃって…
それ以降動くことはなかった。
ママが意識不明の重体で、病院で寝込んでる。
なのにウチは、小学校に行かされた。
2日後、ウチが小学校に行ってるうちに、ママが死んじゃった。
病院にお見舞いに行く度にウチは涙を流してた。
なのに、ウチは泣けなかった。
皆泣いてた。父も泣いてた。
なのに、ウチだけ、泣けなかった。
ママが死んだことを、自分は悲しんでないのかな?
そんなことを考えちゃって、悲しくなった。
でも絶対に、涙は流れなかった。
骨を拾った。
ママの頭蓋骨の一部が、赤く染まってた。
これはママの血?ってきいたら、そうではないらしかった。
喉仏の紹介とかされた。
別にどーでも良かった。実感なんて、沸かなかった。
それが人の骨である、ということさえ、忘れていたかんじ。
通夜が終わって家に帰って自由帳を取り出した。
「ママなんか死んじゃえ」って言う文字を
「ママ、がんばって、生きぬいて」に変えてた。
もうママは死んじゃってるのに。
今更書き換えたって、ママが帰ってくるわけじゃないのにね。
無意識にした行動だった。
ママが居ないことが悔しくて、両親が離婚してる男友達を馬鹿にした。
そしたら、「お前の母ちゃんなんて死んでるくせに」って言われた。
なのにウチは、笑ってた。
「お前バカだろ」って言ってた。
これも無意識だった。
今、うちは中学2年生。
絶対に「死ね」と「殺す」は言えんくなった。
絶対に、暴力だけはふるえんくなった。
今でもドアのノックが聞えると、
ふと「お母さん?」って思ってしまう。
解約したママの携帯番号に、電話をかける。
まだ繋がってる気がするから。
「ママ、死んじゃった」
簡単に言えるのに。
まだママが帰ってくるって、心のどこかで信じてる自分が居る。
きっとウチはまだ、
ママが死んだことを
認めきれずにいるんだと、思う…。
認めなきゃ、いけないね。
頭は分かってるんだけど
もしかしてって…
心がついていけないの。
もっと、大事にしてればよかった。
死ねなんて言わなければ良かった。
ママの笑顔、大好きです。
ママの笑顔、忘れられません。
のんは、ママが、世界で一番大好きです。
長文な上、乱文で、お目汚し失礼いたしました。
読んでくれて、ありがとうございました。
がんばって、認めたいと思います。
これに書いたことで、お母さんの死を、認められた気がします。
本当に、ありがとうございました。
もしかして、父の手紙に反応してる!?
ウチは悔しかった。
家族で一番ママを好きな自信があった。
父よりママを大切にしてる自信があった。
でも、これを読み続けたらもしかしたら…
ママが目を覚ましてくれるんじゃないかな?
そんな淡い期待を抱いて、何回も父の手紙を声に出し読み返した。
でも、ママの心電図は元に戻っちゃって…
それ以降動くことはなかった。
ママが意識不明の重体で、病院で寝込んでる。
なのにウチは、小学校に行かされた。
2日後、ウチが小学校に行ってるうちに、ママが死んじゃった。
病院にお見舞いに行く度にウチは涙を流してた。
なのに、ウチは泣けなかった。
皆泣いてた。父も泣いてた。
なのに、ウチだけ、泣けなかった。
ママが死んだことを、自分は悲しんでないのかな?
そんなことを考えちゃって、悲しくなった。
でも絶対に、涙は流れなかった。
骨を拾った。
ママの頭蓋骨の一部が、赤く染まってた。
これはママの血?ってきいたら、そうではないらしかった。
喉仏の紹介とかされた。
別にどーでも良かった。実感なんて、沸かなかった。
それが人の骨である、ということさえ、忘れていたかんじ。
通夜が終わって家に帰って自由帳を取り出した。
「ママなんか死んじゃえ」って言う文字を
「ママ、がんばって、生きぬいて」に変えてた。
もうママは死んじゃってるのに。
今更書き換えたって、ママが帰ってくるわけじゃないのにね。
無意識にした行動だった。
ママが居ないことが悔しくて、両親が離婚してる男友達を馬鹿にした。
そしたら、「お前の母ちゃんなんて死んでるくせに」って言われた。
なのにウチは、笑ってた。
「お前バカだろ」って言ってた。
これも無意識だった。
今、うちは中学2年生。
絶対に「死ね」と「殺す」は言えんくなった。
絶対に、暴力だけはふるえんくなった。
今でもドアのノックが聞えると、
ふと「お母さん?」って思ってしまう。
解約したママの携帯番号に、電話をかける。
まだ繋がってる気がするから。
「ママ、死んじゃった」
簡単に言えるのに。
まだママが帰ってくるって、心のどこかで信じてる自分が居る。
きっとウチはまだ、
ママが死んだことを
認めきれずにいるんだと、思う…。
認めなきゃ、いけないね。
頭は分かってるんだけど
もしかしてって…
心がついていけないの。
もっと、大事にしてればよかった。
死ねなんて言わなければ良かった。
ママの笑顔、大好きです。
ママの笑顔、忘れられません。
のんは、ママが、世界で一番大好きです。
長文な上、乱文で、お目汚し失礼いたしました。
読んでくれて、ありがとうございました。
がんばって、認めたいと思います。
これに書いたことで、お母さんの死を、認められた気がします。
本当に、ありがとうございました。
2010年8月24日火曜日
中国人の母
これは私の実話です。
ママは中国人です。
日本人である父親と結婚するために、
国の家族と離れた日本でがんばッて暮らすことにしたそうでした。
父親は結婚して、ママに日本語を懸命に教えました。
それでママも日本語が上手になッたようでした。
そんな中、うちのお姉ちゃんが日本で生まれました。
そして、中国に帰国した時、私が生まれました。
でもね、うちが物心ついた頃には…
ママは毎日、ことあるごとに父親に殴られるようになってしまってた。
そして、あからさまに、父は不倫を続けてた。
父の暴力はウチ等に向けられることも度々あった。
でも、そのたびにママがかばってくれて、ウチ等の替わりに殴られてた。
ウチ等はいっつも、そんなママの腕の中で、ただただ泣いてることしかできんかった。
お母さんは一回だって、泣いたことがなかった。
いつも笑顔で、「大丈夫」としか言ってくれんかった。
その頃のうちは小学校低学年。
だから、ママがいくら殴られても、お父さんの恐怖は感じれるのに、
笑顔で大丈夫ってゆうお母さんの辛さを、全く気付いてあげれんかった。
本当に辛くないもんだと思ってしまってた。
どんなに辛くてもママが離婚せんかったのは、
多分極度の負けず嫌いだったからだと思う。
絶対大丈夫だって大見得切って、
猛反対された日本人との結婚を成功させて…
それなのに離婚しちゃったら、中国に置いて来た家族に顔向けできないじゃんね?
そんなちょっとしたプライドのために…
あんなに傷付かんでも、良いじゃんね。
うちには絶対真似できん。
お母さんが口うるさく怒るのは、
ウチ等に立派な大人になって欲しいから。
そんなこと、小学校低学年なウチには全く理解できとらんかった。
どんなにママがウチ等を愛してくれとったんか、
全く理解できとらんかった。
じゃけぇ度々、ママなんか大ッ嫌ぃッてゆっとったし、
ママなんか死んじゃえッて、めっちゃ言いまくっとった。
ウチが小学校3年生の頃、
お姉ちゃんは小学校6年生で、受験シーズンだった。
お父さんの暴力をいっぱい見てきたお姉ちゃんは、
暴力の重さが分からんくなっとった。
受験のストレスをめいっぱいウチにブツけてきた。
酷い暴力をいっぱい受けた。
家族で1番小さくて無力なウチは、そのストレスのブツけどころがどこにもなくて…
いっつもママに当たってしまっていた。
自由帳の丸々一ページにでっかく、「ママなんか死んじゃえ」って書いた。
ママの悪口しかかけなかった。理由は簡単。
お姉ちゃんとか父の悪口書いてバレたら、後が怖いから。
でもウチは、ママが世界で一番大好きだった。
お姉ちゃんの受験結果を発表する日がやってきた。
女学院は補欠、安田は合格、といった結果だった。
安田に受かったお祝いに、家族皆でお祝いすることになった。
その日は、ママがウチのコップを落として壊しちゃった。
ウチは泣きながら、「ママなんか大っ嫌い!死んじゃえっ!!」って言った。
ママは「ごめんね」って言って、静かにコップの破片を拾った。
ウチは不機嫌なまま、タクシーに乗ってお姉ちゃんのお祝いをする中華料理店に向かった。
その頃にはもうお母さんは笑顔で、うちも笑顔で、
「かんぱーい」って言って、ビールを飲もうとした。
その時、ママは泡を吹いて、唸りながら自分の顔を机の上に押し付けた。
ウチとお姉ちゃん、おばあちゃんは大パニックで救急車を呼んだ。
ママは病院に運ばれた。
意識不明で、重体。
ママは病気だった。
病名は、脳梗塞。
ウチはママに死ねって言ったことを、酷く後悔した。
ママが看護婦の人にオムツを替えてもらってた。
オムツには排泄物がついてた。
うちはそれを「汚い」って思ってしまった。
ママに家族全員で手紙を書いた。
父はママが倒れたことで、本当に反省して、手紙を書いてた。
ウチ等は家族全員で書いた手紙を泣きながら読み上げた。
お母さんの心電図が、父の手紙を読んだ時、大きく動いた。
・続く・
ママは中国人です。
日本人である父親と結婚するために、
国の家族と離れた日本でがんばッて暮らすことにしたそうでした。
父親は結婚して、ママに日本語を懸命に教えました。
それでママも日本語が上手になッたようでした。
そんな中、うちのお姉ちゃんが日本で生まれました。
そして、中国に帰国した時、私が生まれました。
でもね、うちが物心ついた頃には…
ママは毎日、ことあるごとに父親に殴られるようになってしまってた。
そして、あからさまに、父は不倫を続けてた。
父の暴力はウチ等に向けられることも度々あった。
でも、そのたびにママがかばってくれて、ウチ等の替わりに殴られてた。
ウチ等はいっつも、そんなママの腕の中で、ただただ泣いてることしかできんかった。
お母さんは一回だって、泣いたことがなかった。
いつも笑顔で、「大丈夫」としか言ってくれんかった。
その頃のうちは小学校低学年。
だから、ママがいくら殴られても、お父さんの恐怖は感じれるのに、
笑顔で大丈夫ってゆうお母さんの辛さを、全く気付いてあげれんかった。
本当に辛くないもんだと思ってしまってた。
どんなに辛くてもママが離婚せんかったのは、
多分極度の負けず嫌いだったからだと思う。
絶対大丈夫だって大見得切って、
猛反対された日本人との結婚を成功させて…
それなのに離婚しちゃったら、中国に置いて来た家族に顔向けできないじゃんね?
そんなちょっとしたプライドのために…
あんなに傷付かんでも、良いじゃんね。
うちには絶対真似できん。
お母さんが口うるさく怒るのは、
ウチ等に立派な大人になって欲しいから。
そんなこと、小学校低学年なウチには全く理解できとらんかった。
どんなにママがウチ等を愛してくれとったんか、
全く理解できとらんかった。
じゃけぇ度々、ママなんか大ッ嫌ぃッてゆっとったし、
ママなんか死んじゃえッて、めっちゃ言いまくっとった。
ウチが小学校3年生の頃、
お姉ちゃんは小学校6年生で、受験シーズンだった。
お父さんの暴力をいっぱい見てきたお姉ちゃんは、
暴力の重さが分からんくなっとった。
受験のストレスをめいっぱいウチにブツけてきた。
酷い暴力をいっぱい受けた。
家族で1番小さくて無力なウチは、そのストレスのブツけどころがどこにもなくて…
いっつもママに当たってしまっていた。
自由帳の丸々一ページにでっかく、「ママなんか死んじゃえ」って書いた。
ママの悪口しかかけなかった。理由は簡単。
お姉ちゃんとか父の悪口書いてバレたら、後が怖いから。
でもウチは、ママが世界で一番大好きだった。
お姉ちゃんの受験結果を発表する日がやってきた。
女学院は補欠、安田は合格、といった結果だった。
安田に受かったお祝いに、家族皆でお祝いすることになった。
その日は、ママがウチのコップを落として壊しちゃった。
ウチは泣きながら、「ママなんか大っ嫌い!死んじゃえっ!!」って言った。
ママは「ごめんね」って言って、静かにコップの破片を拾った。
ウチは不機嫌なまま、タクシーに乗ってお姉ちゃんのお祝いをする中華料理店に向かった。
その頃にはもうお母さんは笑顔で、うちも笑顔で、
「かんぱーい」って言って、ビールを飲もうとした。
その時、ママは泡を吹いて、唸りながら自分の顔を机の上に押し付けた。
ウチとお姉ちゃん、おばあちゃんは大パニックで救急車を呼んだ。
ママは病院に運ばれた。
意識不明で、重体。
ママは病気だった。
病名は、脳梗塞。
ウチはママに死ねって言ったことを、酷く後悔した。
ママが看護婦の人にオムツを替えてもらってた。
オムツには排泄物がついてた。
うちはそれを「汚い」って思ってしまった。
ママに家族全員で手紙を書いた。
父はママが倒れたことで、本当に反省して、手紙を書いてた。
ウチ等は家族全員で書いた手紙を泣きながら読み上げた。
お母さんの心電図が、父の手紙を読んだ時、大きく動いた。
・続く・
2010年8月20日金曜日
アキ
母のことを文にするのは人生で2回目だ。
一回目は・・小学校6年生の時の参観日の『家族について』で母のことについて書いた。
今日で2回目だ。私が小さい頃から母は精神的な病気で入退院を繰り返している。
『育児ノイローゼ』だとか『精神分裂症』だとか聞かされていた。
自分のことを『私はマリーアントワネット』だ。とも言っていた。
小学生の頃、『今日からこの家に帰ってこなくていい。』と捨てられた。
でも帰る所のない私は家へ帰った。
ドアを叩いても出てくれない。小さなボロいアパートだ。中に居るのはわかる。
夜遅くになり、電気が点いた時にドアを叩くと何もなかったように中に入れてくれた。
その月に入院が決まった。
入院する直前には、家族のこともわからなくなり、敵視されていた。
『どこか知らない場所に連れて行かれてたまるもんか!!』と・・。
収拾がつかないので、救急車で母を病院に連れて行った。
暴れていた。『殺されるっっ!!』とも叫んでいた。
小さいながらにも痛々しくて、涙が出た。
もう母に会えないんではないかと・・。
救急車に運ばれて行ってからの部屋はガランとしていた。
家はとても貧乏で父が家に帰って来なかったら食費すらなかった。
週に1,2度しか帰って来ない父。食事も貧相なものだった。
でも、病気の症状が出るまでの母はとても明るく振る舞い、『今日はお母さんお腹空いてないから、あんたらいっぱい食べ!!』と笑っていた。
家にお金がある時に見よう見まねで作らせてくれた、私の料理を残さず食べてくれた。
母がいなくては生きていけないとさえ思った。
なのに・・今、あなたのことを恥じている自分がいる。
なぜ、あなたの子に生まれたのだろう?
なぜ、自慢できる母じゃないのだろう?
なぜ、あなたは病気なの?
なぜ、自分は捨てられたのだろう・・と。
もう何年、喋ってないだろう。
今は社会復帰もできない母。
私の名前を覚えているだろうか?
顔を見て『あき』と呼んでくれるだろうか?
あの一番最初にあなたのことを書いた時には、あなたが居たかどうかは覚えてません。
でも、あなたへの手紙を書いていたのに泣いて読めなくて先生に読んでもらったことは覚えている。
本当に大好きだった母。私はまだ、あなたにかける言葉が見つかりません・・。
なんて呼べばいいのかもわかりません。
あなたは私のこと、覚えてますか?
一回目は・・小学校6年生の時の参観日の『家族について』で母のことについて書いた。
今日で2回目だ。私が小さい頃から母は精神的な病気で入退院を繰り返している。
『育児ノイローゼ』だとか『精神分裂症』だとか聞かされていた。
自分のことを『私はマリーアントワネット』だ。とも言っていた。
小学生の頃、『今日からこの家に帰ってこなくていい。』と捨てられた。
でも帰る所のない私は家へ帰った。
ドアを叩いても出てくれない。小さなボロいアパートだ。中に居るのはわかる。
夜遅くになり、電気が点いた時にドアを叩くと何もなかったように中に入れてくれた。
その月に入院が決まった。
入院する直前には、家族のこともわからなくなり、敵視されていた。
『どこか知らない場所に連れて行かれてたまるもんか!!』と・・。
収拾がつかないので、救急車で母を病院に連れて行った。
暴れていた。『殺されるっっ!!』とも叫んでいた。
小さいながらにも痛々しくて、涙が出た。
もう母に会えないんではないかと・・。
救急車に運ばれて行ってからの部屋はガランとしていた。
家はとても貧乏で父が家に帰って来なかったら食費すらなかった。
週に1,2度しか帰って来ない父。食事も貧相なものだった。
でも、病気の症状が出るまでの母はとても明るく振る舞い、『今日はお母さんお腹空いてないから、あんたらいっぱい食べ!!』と笑っていた。
家にお金がある時に見よう見まねで作らせてくれた、私の料理を残さず食べてくれた。
母がいなくては生きていけないとさえ思った。
なのに・・今、あなたのことを恥じている自分がいる。
なぜ、あなたの子に生まれたのだろう?
なぜ、自慢できる母じゃないのだろう?
なぜ、あなたは病気なの?
なぜ、自分は捨てられたのだろう・・と。
もう何年、喋ってないだろう。
今は社会復帰もできない母。
私の名前を覚えているだろうか?
顔を見て『あき』と呼んでくれるだろうか?
あの一番最初にあなたのことを書いた時には、あなたが居たかどうかは覚えてません。
でも、あなたへの手紙を書いていたのに泣いて読めなくて先生に読んでもらったことは覚えている。
本当に大好きだった母。私はまだ、あなたにかける言葉が見つかりません・・。
なんて呼べばいいのかもわかりません。
あなたは私のこと、覚えてますか?
2010年1月19日火曜日
母ちゃん
昨日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。
ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。
しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。
ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。
しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。
2010年1月12日火曜日
親父
5 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 17:34:07 ID:TEcQM2Xh0
死んだ親父はよく食いに連れてってくれたな
うまいんだけど、親父は食うのが早くて、
食い終わるとじっと怒ったよな顔でオレが食べるのを見てた。
「早く食え」って言ってるみたいでちょっとヤだった。
こないだ初めて子供とラーメン屋に言ったら、やけにおいしかったらしく
ガツガツ食うわ、あせって水飲むし、ちっこい手で丼つかんでスープ飲んでハァハァいってる
可愛かった
そしたら「ねぇなんでじっと見てるん?怒ってる?」
オヤジ・・・・
死んだ親父はよく食いに連れてってくれたな
うまいんだけど、親父は食うのが早くて、
食い終わるとじっと怒ったよな顔でオレが食べるのを見てた。
「早く食え」って言ってるみたいでちょっとヤだった。
こないだ初めて子供とラーメン屋に言ったら、やけにおいしかったらしく
ガツガツ食うわ、あせって水飲むし、ちっこい手で丼つかんでスープ飲んでハァハァいってる
可愛かった
そしたら「ねぇなんでじっと見てるん?怒ってる?」
オヤジ・・・・
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