◇もう生きられへん。ここで終わりやで そうか。一緒やで。わしの子や
認知症の母親(86)の介護で生活苦に陥り、
相談の上で殺害したとして承諾殺人などの罪に問われた
京都市伏見区の無職、片桐康晴被告(54)の初公判が19日
京都地裁=東尾龍一裁判官(54)=であった。
片桐被告が起訴事実を認めた後、検察側が片桐被告が献身的に介護しながら
失職などを経、追いつめられていく過程を詳述。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」
という供述も紹介。目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ
刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
事件は今年2月1日朝、京都市伏見区の桂川河川敷で、車椅子の高齢女性と
片桐被告が倒れているのを通行人が発見。女性は当時86歳だった母で死亡。
片桐被告は首から血を流していたが、一命を取りとめた。
検察側の冒頭陳述によると、片桐被告は両親と3人暮らしだったが、
95年に父が死亡。そのころから、母に認知症の症状が出始め、
1人で介護した。母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊(はいかい)で
警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、
9月に退職。生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。
カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」。片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し
2月1日早朝、同市伏見区の桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。ここで終わりやで」などと言うと、
母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。
片桐被告が「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び、
片桐被告が額を母の額にくっつけると、
母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺害し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。
肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が、片桐被告が献身的な介護の末に、失職等を経て、
追いつめられていく 過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
陳述の最中に、検察官が涙で声を詰まらせるという異例の雰囲気の中で裁判は進行した。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、
法廷は静まり返った。
「痛ましく、悲しい事件だった。今後あなた自身は、生き抜いて、絶対に自分をあやめること
のないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」
裁判官が最後にこう語りかけると、「ありがとうございました」と頭を下げた被告。
法廷には、傍聴人と検察官と、被告のすすり泣く声が響き、法廷は悲しみに包まれた。