746:本当にあった怖い名無し 2009/06/09(火) 21:18:26 ID:iJPJ+Dww0[sage]
チェルノブイリ事故は、メーデー前の金曜日深夜に起きた。
制御棒を完全に入れれば、炉心は止まる。
だが、中途半端に入れれば、残った核反応で
発電できるのではないか? という実験中だった。
#安全装置は切られていた。
金曜日の深夜。技師や作業員たちは、
「この仕事を終えれば休める!」と意気軒昂だった。
実験は暴走という結果を生み、休みは潰れた。
災厄。炉心融解、メルトダウン。
炉心直下には、核反応を制御するための冷却水プールがあった。
メルトダウンが進めば、そのプールの水で水蒸気爆発が起きるだろう。
どうしたか?
3人の男たちが
汚染された水の中を泳いでいって、プールの栓を抜いた。
彼らのことは誰も知らない。
アンドレイ・アナネンコ ヴァレリイ・ベズパロフ ポリス・バラノフ
彼らは、ひどい事故が「よりひどい事故」になることを防いだ。
ヨーロッパ全域が「死の森」になることを防いだ3人。
彼らのその後は、あえて語らない。
2009年12月7日月曜日
野球
幼い頃に父が亡くなり母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった 母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で
生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で
質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、
近所の河原とかに 遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、
クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めての プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ
豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは 招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ なければ
いけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは
外の ベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、
一生懸命に勉強した。 新聞奨学生として大学まで進み、
いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、
思い出したように 「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった
学もなく、技術もなかった 母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で
生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で
質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、
近所の河原とかに 遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、
クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めての プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ
豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは 招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ なければ
いけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは
外の ベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、
一生懸命に勉強した。 新聞奨学生として大学まで進み、
いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、
思い出したように 「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった
2009年12月3日木曜日
オカンとドクちゃん
| |
| |
| J( 'ー`)し.|
| ( ) .| ( 'A`)
| 幸 | | | 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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| |
| J( 'ー`)し .|
| o一o | ( 'A`)
| 辛 〈 〈 | 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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| |
| | 'ー,`)し
| |o一o ( 'A`)
| 辛 | U 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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| |
| J( 'ー`)し |
| ( ) | ミ Σ ('A` )
| 辛 | レ | 幸 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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| |
| ガンバルノヨ ドクチャン | ヽ(゚∀゚)ノ
| J( 'ー`)し | ( )
| 辛 ノ( ヘヘ | 幸 | |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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| J( 'ー`)し.|
| ( ) .| ( 'A`)
| 幸 | | | 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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| J( 'ー`)し .|
| o一o | ( 'A`)
| 辛 〈 〈 | 辛 ノ( ヘヘ
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| | 'ー,`)し
| |o一o ( 'A`)
| 辛 | U 辛 ノ( ヘヘ
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| J( 'ー`)し |
| ( ) | ミ Σ ('A` )
| 辛 | レ | 幸 ノ( ヘヘ
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| ガンバルノヨ ドクチャン | ヽ(゚∀゚)ノ
| J( 'ー`)し | ( )
| 辛 ノ( ヘヘ | 幸 | |
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2009年12月2日水曜日
兄貴
266 名前:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/09(日) 01:41:33
三人兄弟の末っ子だったオレ。オレが消防だった時に兄貴が高3だった。
車好きの兄貴は自動車会社に就職したくて大学に行きたかったみたいけど、
頭は決してよく無かったので私立の大学にしかいける大学がなった。兄貴は親父に大学に行きたいと言ったが、
親父は『家には金が無い。残りの兄弟もいるし、我慢してくれ。すまん。』と言った。
影でその話を聞いていた俺は、それまで自分の家が貧乏だと思ってはなかったので驚いた。
話を承知した兄貴は、肩を揺らして泣いていた。親父も自分が不甲斐無いのか泣いていた。
その後、兄貴は高卒で就職した。数年後、同様に二番目の兄貴も高卒で就職した。
そして、俺が高3になった時、俺も大学に行きたいと思っていた。
自分でもいうのはなんだが、学校での成績はかなりいいほうだった。
しかし、親兄弟には迷惑はかけれないと進学は諦めていた。迷惑をかけないように、
『オレも高校卒業したら就職するから。』って家族にいつも言っていた。
そんな時、2人の兄貴が『お前は安心して好きな道を歩め。大学に行きたいなら、はっきり言え。オレがどうにかしてやる。
お前は頭もいいし、オレの出来なかった夢を叶えてくれ。』と言ってくれた。嬉しかった。大声で泣いた。
数年後、オレは無事に大学を卒業、兄貴の夢でありオレの夢であった自動車会社に就職することができた。
兄貴は喜んでくれてはいたが、さぞ悔しかっただろうと思う。申し訳ないことをしたと思っている。
面と向かって言うのは照れるので、ここで言わせてもらいたい。
兄貴、ありがとう。いつか、最高の車を造るからな。
三人兄弟の末っ子だったオレ。オレが消防だった時に兄貴が高3だった。
車好きの兄貴は自動車会社に就職したくて大学に行きたかったみたいけど、
頭は決してよく無かったので私立の大学にしかいける大学がなった。兄貴は親父に大学に行きたいと言ったが、
親父は『家には金が無い。残りの兄弟もいるし、我慢してくれ。すまん。』と言った。
影でその話を聞いていた俺は、それまで自分の家が貧乏だと思ってはなかったので驚いた。
話を承知した兄貴は、肩を揺らして泣いていた。親父も自分が不甲斐無いのか泣いていた。
その後、兄貴は高卒で就職した。数年後、同様に二番目の兄貴も高卒で就職した。
そして、俺が高3になった時、俺も大学に行きたいと思っていた。
自分でもいうのはなんだが、学校での成績はかなりいいほうだった。
しかし、親兄弟には迷惑はかけれないと進学は諦めていた。迷惑をかけないように、
『オレも高校卒業したら就職するから。』って家族にいつも言っていた。
そんな時、2人の兄貴が『お前は安心して好きな道を歩め。大学に行きたいなら、はっきり言え。オレがどうにかしてやる。
お前は頭もいいし、オレの出来なかった夢を叶えてくれ。』と言ってくれた。嬉しかった。大声で泣いた。
数年後、オレは無事に大学を卒業、兄貴の夢でありオレの夢であった自動車会社に就職することができた。
兄貴は喜んでくれてはいたが、さぞ悔しかっただろうと思う。申し訳ないことをしたと思っている。
面と向かって言うのは照れるので、ここで言わせてもらいたい。
兄貴、ありがとう。いつか、最高の車を造るからな。
2009年12月1日火曜日
ビル・ゲイツの言葉
ビル・ゲイツがあるハイスクールでスピーチをした、
「学校では教えてくれない人生に役立つ11のルール」というものが
インターネットで出回っています。
1、人生は公平ではない。それに慣れよ。
2、世界は君の自尊心を気にかけてはくれない。
君の気分に関係なく世界は君が仕事を終わらせることを期待している。
3、高校を出てすぐ6万ドルの年収を稼ぎはしない。携帯電話(当時は高かった)
を持った副社長にもならない。自分で両方を稼ぎ出すまでは。
4、先生が厳しすぎると思うなら、上司を持ってみろ。
5、ハンバーガーを引っくり返すということは沽券にかかわることではない。
君たちの祖父母はハンバーガーを引っくり返すことを別の表現を使った。
それはチャンスと呼ばれた。
6、君が失敗したらそれは両親のせいではない。文句を言わずに学べ。
7、君らが生まれる前は、君らの両親は今のように退屈な人たちではなかった。
そんな風になったのは、君らのために支払いをし、服を洗い、君らがどんなに
イケてるか、という自慢を聞いているうちにそうなったのだ。親の時代から生存
する寄生虫から森を守る前に、自分の洋服ダンスのダニ駆除から始めよう。
8、学校は勝者・敗者を決めなくなったかもしれないが、人生は違う。
学校によっては君が落ちこぼれないようにしてくれたり、正しい答えが導き
出せるまで、何度でも機会をくれる。実際の人生とは全く似ても似つかない。
9、人生は学期ごとに分けられていない。夏休みは無いし、ほとんどの雇用主は
君が自分を見出すことに興味を持たない。それは自分の時間にやれ。
10、テレビは本当の人生ではない。現実では、人は喫茶店にいつまでも
居られるわけはなく、仕事に行かなくてはいけないのだ。
11、オタクには親切にしよう。彼らの下で働く可能性が高い。
「学校では教えてくれない人生に役立つ11のルール」というものが
インターネットで出回っています。
1、人生は公平ではない。それに慣れよ。
2、世界は君の自尊心を気にかけてはくれない。
君の気分に関係なく世界は君が仕事を終わらせることを期待している。
3、高校を出てすぐ6万ドルの年収を稼ぎはしない。携帯電話(当時は高かった)
を持った副社長にもならない。自分で両方を稼ぎ出すまでは。
4、先生が厳しすぎると思うなら、上司を持ってみろ。
5、ハンバーガーを引っくり返すということは沽券にかかわることではない。
君たちの祖父母はハンバーガーを引っくり返すことを別の表現を使った。
それはチャンスと呼ばれた。
6、君が失敗したらそれは両親のせいではない。文句を言わずに学べ。
7、君らが生まれる前は、君らの両親は今のように退屈な人たちではなかった。
そんな風になったのは、君らのために支払いをし、服を洗い、君らがどんなに
イケてるか、という自慢を聞いているうちにそうなったのだ。親の時代から生存
する寄生虫から森を守る前に、自分の洋服ダンスのダニ駆除から始めよう。
8、学校は勝者・敗者を決めなくなったかもしれないが、人生は違う。
学校によっては君が落ちこぼれないようにしてくれたり、正しい答えが導き
出せるまで、何度でも機会をくれる。実際の人生とは全く似ても似つかない。
9、人生は学期ごとに分けられていない。夏休みは無いし、ほとんどの雇用主は
君が自分を見出すことに興味を持たない。それは自分の時間にやれ。
10、テレビは本当の人生ではない。現実では、人は喫茶店にいつまでも
居られるわけはなく、仕事に行かなくてはいけないのだ。
11、オタクには親切にしよう。彼らの下で働く可能性が高い。
から揚げ
313 名前:まい 投稿日:2000/04/04(火) 16:57
幼稚園の頃お絵描きの時間に先生が
「大好きなものを描いてね」といういやに抽象的なテーマをだした。
みんなは、「おかあさん」とか「愛犬」とか「お花」を描いていたが、
私は画用紙一杯に茶色の丸を何個も何個も描いた。
先生の「これ、なあに?」の問いに
「とりのからあげ!」と元気に答えた私。
教室内は大爆笑、「だって、好きなものって言ったやん」と子供心が傷ついた。
その絵を、返却され家に持って帰る事になり
「お母さんも笑うかなあ、」と心配になったが、お迎えに来た母に
「好きなもの、から揚げ描いたら先生も皆も笑ってん…」
ここまで話すのが精一杯で大泣きしてしまった。
母は満面の笑みを湛え「そっかあ!」とその足ですぐスーパーに行き、
鶏肉をいっぱい買って来てその日の夜と、次の日のお弁当にから揚げを入れてくれた。
年子の弟がいたので、「お姉ちゃん」というプレッシャーがあったのと、
食が細かったので、「これが好き」とか「これ食べたい」とかあまり言わない子供だったので
母はすごくうれしかったみたい。
父も「この子は酒飲みになるぞお」とうれしそうにから揚げをたべていた。
期待を裏切らず酒飲みになり、あてはいつもから揚げ、
身長も171センチと大きく元気に育った。
「から揚げの絵」は、いまも大切に実家に保管してある。
おかあさん、ありがとう。
幼稚園の頃お絵描きの時間に先生が
「大好きなものを描いてね」といういやに抽象的なテーマをだした。
みんなは、「おかあさん」とか「愛犬」とか「お花」を描いていたが、
私は画用紙一杯に茶色の丸を何個も何個も描いた。
先生の「これ、なあに?」の問いに
「とりのからあげ!」と元気に答えた私。
教室内は大爆笑、「だって、好きなものって言ったやん」と子供心が傷ついた。
その絵を、返却され家に持って帰る事になり
「お母さんも笑うかなあ、」と心配になったが、お迎えに来た母に
「好きなもの、から揚げ描いたら先生も皆も笑ってん…」
ここまで話すのが精一杯で大泣きしてしまった。
母は満面の笑みを湛え「そっかあ!」とその足ですぐスーパーに行き、
鶏肉をいっぱい買って来てその日の夜と、次の日のお弁当にから揚げを入れてくれた。
年子の弟がいたので、「お姉ちゃん」というプレッシャーがあったのと、
食が細かったので、「これが好き」とか「これ食べたい」とかあまり言わない子供だったので
母はすごくうれしかったみたい。
父も「この子は酒飲みになるぞお」とうれしそうにから揚げをたべていた。
期待を裏切らず酒飲みになり、あてはいつもから揚げ、
身長も171センチと大きく元気に育った。
「から揚げの絵」は、いまも大切に実家に保管してある。
おかあさん、ありがとう。
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